フレディマーキュリーの身長体重や性格と家族出身地などwiki的プロフィール

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皆さんはフレディマーキュリーという歌手をご存知ですか?「もちろん知っているとも!」と言われてしましそうですね。確かに、彼は有名なロックバンド歌手です。では、「本当の彼を知っていますか?」と言われたらどうでしょうか。

ロックバンド・クイーンのフレディマーキュリー。シンガーのフレディマーキュリー。私たちが知っているフレディとは、ほんの一面にしか過ぎないのではないでしょうか。特に彼は自分の過去を曝け出すことがほとんどない謎のスターでした。本当はどんな素顔を持っていたのでしょう。

全ての人に共通することだと思いますが、性格は生まれ持ったものもありますが、周りの環境も大きく影響してきます。意識しなくても、知らず知らずのうちに出身地の特徴は出ますもんね。「どんな環境や教育を受けて、フレディの人格は形作られたのか。」と気になったことはありませんか?

今回はシンガーとしてのフレディマーキュリーではなく、出身地や家族との関係性など、周りの環境が彼にどのような影響を与えたのか、フレディの核心部分に迫ってみましょう。

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フレディマーキュリーの基本情報


名前:フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)
本名:ファルーク・バルサラ(Farrokh Bulsara)
生年月日:1946年9月5日-1991年11月24日(45歳没)
出身地:アフリカ・ザンジバル(現在のタンザニア)
国籍:イギリス
身長:177㎝
体重:59㎏(1970代)
宗教:ゾロアスター教
恋人:メアリー・オースティン(1970-1976)、ジム・ハットン(1985-1991)
好きな色:青色
好きな食べ物:スパイシーな食べ物
好きなもの:骨董品・猫

家族構成
父の名前はボミ BomiBulsara (1908年-2003年)
母の名前はジャー Jer Bulsara(1922年-2016年)
妹の名前はカシミラ Kashmira Cooke(1952年-)

フレディマーキュリーの生い立ちからロックスターになるまで

フレディマーキュリーが生まれた町ザンジバル島

フレディの出身地はザンジバル島のストーンタウンです。現在のタンザニアに位置していますが、当時はイギリスの保護国でした。なんと、音楽雑誌にはフレディはイギリス人とペルシア人のハーフと紹介されており、事実が知られるようになったのは彼が死んだ後のことなのです。フレディは嘘をついていたんですね(・_・;)

ところでザンジバル島って聞いたことありますか?そもそもタンザニアってどこよって話ですよね。タンザニアはアフリカ大陸のケニアの下に位置しており、ザンジバル島はタンザニアにの東側に属する離島です。

世界でもっとも美しいビーチを誇り、大自然がある島として世界遺産に登録されており、アフリカの天国なんて言われているリゾート地です。

きれいなビーチですね(^^♪年中暖かく、ビーチで泳いだり、遊んだりしながら過ごします。このような環境から比較的のんびりした人が多いですね。都会の東京では想像もできない、ゆったりとした時間が流れています。

映像にも猫が出てきましたが、島には猫があちらこちらにいます。「ザンジバルでは、人と猫の距離が空気のような感覚」だそうです。フレディの猫好きも納得がいきます。フレディ全然隠しきれていませんね。

イギリス領の影響もあり、ヨーロッパとアフリカの両方の文化をもっています。ザンジバルは島国のため独自の文化を築いてきました。そのため、独自の文化の思いは強く、独立志向の高い人が多いです。

(ザンジバルに行ってきた方から提供してもらった写真より)フレディのお家の外観

上の画像はフレディのお家の外観です。昔はこのドアの形や装飾で、住む人の身分や仕事等がわかったそうです。私にはこのドアを見てもちょっと…どころか全然わかりませんね!!しかし、勉強以外に芸術面に力を入れる余力があるのは、裕福であることは間違いありません。

こんな素敵な町なんだから隠さなくてもいいのに。と私は思ってしまうのですが、フレディはインド系出身のスターはイメージに相応しくないと考えていました。クイーンのメンバーにさえ出身地の話は避けていたくらいです。

しかし、この気持ちは分からなくもありません。当時のロックスターと言えば王子様のようなキラキラした存在です。イギリスの国と言うだけで、さらに箔がつくことは容易く想像できるはずです。私も想像する王子様像は、目を開けた瞬間に瞳に映るのはインド系の王子様では決してなく、そこには英国紳士の姿があるはずです。フレディもきっと同じ思いだったに違いありません。

フレディマーキュリーの少年時代


少年時代の大半はインドで過ごしました。両親はもともとインドの出身だそうです。8歳でボンベイ(今のムンバイ)郊外にある全寮制の英国式寄宿舎学校、セント・ペーターズ・ボーイズ・スクールに通い、イギリスの伝統と規律を重んじる教育を受けました。フレディの個性はこの反発により爆発したのではないでしょうか。

またこの頃にピアノを習い始めます。誰でも習い事を始めるときは何かのきっかけがありますが、フレディにきっかけを与えてくれたのは校長先生でした。校長先生は彼の音楽の才能に気づき、彼の両親に、音楽の勉強のために投資してあげるように提案します。

両親はその助言を素直に聞き入れ、ピアノを習わせました。彼はメキメキと腕を磨き、学校での演劇活動や合唱会で実力を発揮しました。校長先生ナイスファイト!あなたの助言がなければ、宝の持ち腐れ。彼は音楽が好きな少年Aで終わっていましたよ。


12歳のとき学校の友達5人でスクールバンドの「ザ・ヘクティクス」を結成します。真ん中がフレディです。ピアノを担当していました。

当時の友人は、フレディのことを「彼はどんな曲も演奏でできた。曲を聞いて、それをすぐにピアノで再現する、すごい能力を持っていた。
彼はミュージカル的な存在だった。彼の頭の中と言えばいつもそればっかりだった。」と述べています。
出典:https://www.muslimwordtoday.org/freddie_mercury_s_family_tell_of_singer_s_pride_in_his_asian_heritage

音楽が特に大好きで、家にあるレコードを積み重ねては、何度も再生して聞いていました。西洋歌手にも興味をもち、西洋のファッションや音楽情報などの雑誌が、数か月遅れでしたがフレディの住む町にも入って来て、それを見て憧れを抱いていたと思います。

音楽以外のことはどうでしょうか。クリケットと長距離走が嫌でたまらなったみたいですが、ホッケー、ボクシングは好きでした。特に卓球はとても上手で、学校の大会で優勝しています。フレディのライブは動きが激しいですもんね。そこからも運動神経の良さがわかります。

芸術面もこの時から才能を発揮し、学校の美術コンクールで賞を受賞。スケッチが大好きで家族や友達のためによく絵を描いていました。

当時の様子をご両親はこのように語っています。

母:「自室にいることが多かったわね。部屋を片付けると言って入ると、寝室は紙でいっぱいで、歌詞のようなものが書いてありました。それも片付けようとすると、お願いだから片付けないでくれと言っていたわ。」
父:「勉強をするより音楽のことをすることが多く、何をしようとしているのかさっぱりわからなかった。」
出典:https://www.muslimwordtoday.org/freddie_mercury_s_family_tell_of_singer_s_pride_in_his_asian_heritage

夢膨らむ憧れのイギリス生活

1963年(16歳)ザンジバルに戻って家族と一緒に暮らし始めましたが、翌年1964年(17歳)ザンジバル革命が起こり、多くの人が亡くなりました。フレディの家族は安全を確保、ザンジバルを逃れてイギリスに移り住むことになりました。新しい家はイングランドのミドルセックス州、フェルサムにある小さなお家です。

生活水準は低かったですが、フレディはそんなことを気にする様子もなく、「皆で頑張れば大丈夫だ」と言いイギリスでの生活にわくわくしていました。幼い頃に雑誌で見て、夢抱いていたイギリスでの生活です。胸躍ったことでしょう。

1964年秋、アイルワース工芸専門学校に入学(現在のウェスト・テムズ・カレッジ)
1966年春、グレードAの成績で卒業
1966年秋、イーリング・スクール・アート入学。芸術とブラフィック・デザインを学ぶ

学生時代のフレディを知る人は彼のことを「優しくて大人しい子」、「音楽に対して関心を示す、静かで内気な若者」と評価しています。
出典:https://www.muslimwordtoday.org/freddie_mercury_s_family_tell_of_singer_s_pride_in_his_asian_heritage

すばらしい成績で卒業したフレディです。音楽の道を選択した時は「グラフィックの道に進むべきだ」と引きとめられたこともありました。しかし、この学生生活で学んだことが生かされ、誰もまねできない彼の独特なファッションセンスが生まれました。

自由な思想家だった(衣装デザイナー)
驚きと独創性の人だね(ジョン・ディーコン)
出典:https://youtu.be/o8MEtes6nlM

恋人に見せるフレディマーキュリーの素顔

フレディは何事にもきっちりしていないと落ち着かない完璧主義者でした。自分の思い通りにいかないことがあると、癇癪を起すことがあり、それはパートナーにも向けられました。

メアリー・オースティンと同棲していた頃、花瓶に入れた花と、その配置が気に入らないという理由で花瓶ごと花を捨てたそうです。えっ!そんなことで!!何がそんなに気に入らなかったのでしょうか。メアリーの苦労が目に見えます。

ジム・ハットンの時にも同じようなことがありました。ジムが植えたチューリップが気に入らなかったらしく、せっかく植えたチューリップを全部引き抜き、投げ散らかしたそうです。またしても花トラブル…花に対してのこだわりが強いのでしょうか(+_+)

一方で、気さくで礼儀正しいところもありました。家庭内は特にきっちりしており、ジムは「とても英国紳士らしかった」と評価しています。

フレディマーキュリーと家族の関係

家族思いの優しいお兄ちゃん

母ジャーがフレディを生んだ時、彼女は24歳、父のボミは38歳です。年の差結婚だったんですね。フレディには妹しかいませんが、なんと父ボミは8人兄弟です。すごすぎ(@_@)この当時は人数の多い兄弟は当たり前で、日本よりも早く晩婚少子化を迎えており、バルサラ家も例外ではありませんでした。

フレディの優しさが溢れるエピソードをいくつか紹介します。

妹のカシミラは絵を描く宿題が出た時は、いつもフレディに頼んでいました。彼は嫌がったそうですが、妹のために宿題を手伝っていたそうです。私にも妹がいますが、宿題を手伝った記憶はこれっぽっちもありません。なんて優しいお兄ちゃん。

フレディはイギリスの友人には出身地を偽り、インドにも帰っていませんでした。何よりイギリスの暮らしや文化が気に入っており、イギリス人になりきっていました。

それでもムンバイに住む叔母シェローには時々手紙を送り、目の手術をしなければならなくなった時には、お金まで仕送りしたそうです。このお金で目がよくなれば、ヨーロッパを見せることができると手紙を添えて…なんて良い話なんでしょう。(>_<)感動で涙が…

こちらの映像はフレディ誕生65歳を記念し、テレビ局が母ジャーと妹カシミラをゲストに呼び、インタビューを行っている様子です。家族の仲の良さがわかると思います。(特に見てほしいのは5分以降です。)


英語で分かりにくいですが一部翻訳しますと

母「このシャツは彼が幼い頃に着ていたシャツです。このシャツをとっても気にっていて、ボロボロになっても首もとの部分を裁縫してまでも着ていました。私はそれが好きじゃなかったんだけど。」
妹「彼は本当に優しくて、親切だった。過剰なぐらいにね。とてもいいお兄ちゃんだった。
出典:https://youtu.be/9nC07IWZEGw

ボロボロの服よりも良い服を着てほしいと思うのが親心です。息子の形見を大事にして、いつまでも息子の記憶を心の中に留めてておきたいと語る姿が印象的でした。

宗教が与えるフレディマーキュリーの人格

フレディのインタビューを見ると「僕は僕だ」と言うフレーズがでてきます。これはスーパースターになっても、それは関係ない。僕自身なんだと言うことでしょうが、ではなぜ、彼は出身地や私生活を頑なに隠していたのでしょうか。これはイギリスに憧れていた以外にも理由がありそうです。

それは性と宗教が関係してきます。だいたいどこの宗教も性に対しては厳しく取り扱われます。宗教により異なりますが、修行の一定期間は性を抑制する、純潔を守る、厳しいところは結婚をしないなどです。フレディの両親は厳格なゾロアスター教徒です。この宗教は同姓での性的行為は最も許されない罪とされています。

信仰している親が事実を知ると辛い思いをすることがわかっていたのでしょう。親を思う気持ちから、家族をできる限り安心させてあげたいために、自分は同性愛者だと打ち明けることはなく、恋人のジム・ハットンも「庭師」と紹介していました。

フレディはどれほど辛くても誰にも愚痴をこぼさなかったし、どんな同情も求めようとしなかった。ふらつきながら階段を下りる際、思わず手を差し伸べようとしたけど、手を払ったこともある。その性格に石のように堅固なところがあった。
出典:https://youtu.be/vcFOVtzVi5Q

「その成員は誰も、苦しい時にも他宗教の者に施しを求めることはしない」という、ゾロアスター教の教えの言葉そのものでした。

これは、フレディが自分は信仰のため、このように振る舞わなければと思ってとった行動では決してないでしょう。両親から信仰に対してどのように教育されてきたかまではわかりません。しかし親の姿を通し、目には見えない部分も彼には影響を与えていたのだと思います。

まとめ

・自然豊かなザンジバル島のストーンタウン出身。
・インドの寄宿舎学校でイギリスの厳しい教育を受けた。芸術・スポーツが大好きな少年で、特に音楽の才能はこの頃から現れて、「ミュージカル的存在」と言われていた。
・イギリスではアート・ファッションを中心に勉強し、個性あふれる才能により磨きをかけた。
完璧主義者な性格が時に恋人とのトラブルの原因となった。
自分を偽っていたのは優しく家族思いな性格からだった。

フレディマーキュリーの違った一面を知るとこができましたね。彼の背景を知ってから、歌を聴いてみると、また違った世界観が広がるかもしれません。

 

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