元日本代表であり、鹿島アントラーズをはじめ様々なチームを渡り歩いてきた鈴木隆行。2002年に開催された『日韓ワールドカップ』で得点を決め、日本中のサッカーファンを熱狂させたシーンは記憶にある人もいるかもしれません。
現在は少年サッカーの指導をしながらサッカー解説で番組に出演しています。
そんな鈴木隆行さんのプロフィールと経歴や、結婚した奥さんと子供、そしてプレースタイルを振り返ってみましょう。
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鈴木隆行のプロフィール(身長/年齢/出身地など)
本名: 鈴木 隆行(すずき たかゆき)
愛称: 師匠
生年月日: 1976年6月5日
出身地: 茨城県日立市
身長: 182 cm
体重: 75 kg
ポジション: FW
利き足: 左足
鈴木隆行さん引退試合 声援背にピッチ疾走 https://t.co/l07zaUMxsU pic.twitter.com/RZR0BXJcQN
— 茨城新聞社 (@ibarakishimbun) 2018年1月13日
鈴木隆行の生い立ち(出身中学や高校も)
鈴木隆行さんは日立市立大沼小学校、日立市立泉丘中学校を経て茨城県立日立工業高等学校に進学しました。1年生の頃から国体に出場、2年生の頃には地元の強豪Jリーグクラブである鹿島アントラーズにスカウトされるほど才能を発揮していました。鈴木隆行さんは3年生時にはユース日本代表に中田英寿さんらと選抜されその年代を代表するストライカーでした。
ただ茨城県立日立工業高等学校はサッカーを本格的に指導する人材がいなかったため、鈴木隆行さんは自分に必要なメニューを作っており、鹿島アントラーズに加入するまでは遊びだったと語っています。
鈴木隆行さんは高校を卒業した1995年に鹿島アントラーズに入団し、1996年10月に行われた第24節でプロデビューを果たしています。しかし鹿島アントラーズへの入団直後は強豪ゆえの選手層厚さとレベルの高さから出場機会に恵まれませんでした。現役時代をこう語っています。
鹿島アントラーズに入ってしまったんで、入った時にスタメンが日本代表とブラジル代表しかいなかった。それが普通だと思っていて、正直「こんなに差があるのか」ってずっとショックを受けていたよ。
出典:https://www.excite.co.jp/news/article/E1516942697839/
鈴木隆行さんはブラジル・リオデジャネイロ州の3部リーグ所属のクラブチーム、CFZ・ド・リオへ期限付きで1997年3月から9月まで移籍しました。鈴木隆行さんは21試合中7得点を上げて同チームを2部リーグへ昇格することに大きく貢献し、クラブの出資者であったジーコ氏の期待に応える形となりました。
リオデジャネイロでのプレーを終えて鹿島アントラーズに戻った鈴木隆行さんは、1998年シーズンから今度はジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)にレンタル移籍しました。鈴木隆行さんはJ1リーグへの昇格がかかったアビスパ福岡の昇格戦で得点を挙げてジェフユナイテッド市原のJ1残留に貢献しています。
その後、鈴木隆行さんは1999年から再度ブラジル・リオデジャネイロ州2部リーグに所属するCFZ・ド・リオにレンタル移籍してプレーし、同年秋頃に鹿島アントラーズに復帰しました。
2000年シーズンからは川崎フロンターレにレンタル移籍するなど、チームを渡り歩くことになりまだ鹿島アントラーズに定着できません。川崎フロンターレでは鈴木隆行さんは得点を挙げられずチームも不調で、ミーティングの席で選手を代表して運営社長に意見したことが仇となり、出場機会に恵まれなくなってしまいました。
しかし鈴木隆行さんは鹿島アントラーズに復帰し、得点を挙げ続け活躍をするようになったことからレギュラーを獲得し、クラブのJリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の三冠に大きく貢献しました。
同年に日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップで、鈴木隆行さんはフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表チームのスタメンに選抜。カメルーン戦で2得点を挙げる活躍を見せてマスコミなどから「シンデレラボーイ」と称賛されました。
そして2002年のW杯日本代表に選出されたのです。鈴木隆行さんといえば、日韓W杯でのつま先同点ゴールの印象が強い方も多いのではないでしょうか?
【配信係・まい】
「日韓W杯で僕のサッカー観は変わりました」
かつての”孤高の点取り屋” 鈴木隆行。
現役を引退し、指導者としての道を進み始めた彼が見た、W杯の景色とは…。
また、ロシアW杯を控えた日本代表について、率直な意見を語ってもらった。https://t.co/wHn1FbPhi4#W杯 #鈴木隆行 pic.twitter.com/BlyaRnnL8O— webSportiva (@webSportiva) 2018年3月7日
この劇的ゴールにより、ベルギーの1部リーグ所属の名門クラブ・ヘンクからオファーを受けて移籍します。しかし2003年にはヘンクと選手提携を結んでいるヒュースデン=ゾルダーに移籍。
鈴木隆行さんは2004年のJリーグ・第2ステージから古巣の鹿島アントラーズに復帰。同年のFIFAワールドカップ一次予選ではジーコ監督率いる日本代表に戦線離脱した久保竜彦の代わりに鈴木隆行さんが選出されました。FW陣の要として起用された鈴木隆行さんは3戦全てでゴールを挙げるなど貢献し、AFCアジアカップでは優勝に大きく貢献しました。
この活躍から鈴木隆行さんは2006年1月にセルビアの名門クラブ・レッドスター・ベオグラードからオファーを受けて移籍しました。
1年間のプレーの後に、鈴木隆行さんは2007年1月19日に横浜F・マリノスへ完全移籍しました。しかし、選手層の厚い横浜F・マリノスでは出場機会に恵まれず、鈴木隆行さんはベンチ入りさえできない時代を迎えました。
同年12月には横浜F・マリノスから戦力外通告を受けたため、東京ヴェルディが獲得に乗り出してオファーを出しましたが条件が折り合いつかず鈴木隆行さんは固辞。
2008年2月にはアメリカのメジャーリーグサッカー所属のチーバスUSAからオファーを受けましたが、結果同年3月に米ユナイテッドサッカーリーグ(2部リーグ)所属のポートランド・ティンバーズに移籍しました。
2011年3月11日に起きた東日本大震災で被災した地元の復興に貢献したいと考え、2011年6月3日にJ2リーグ所属の地元チーム、水戸ホーリーホックへ移籍しました。しかもアマチュアサッカー選手としての加入を希望しました。
2012年からは水戸ホーリーホックとプロ契約を結びますが、2014年シーズン終了後に戦力外通告を受け退団し、2015年2月にジェフユナイテッド千葉に移籍しました。しかし、出場試合は2試合のみで鈴木隆行さんはシーズン終了後に現役引退することを発表しました。
渡り歩く『流浪』という表現がピッタリなサッカー選手でしたね。
鈴木隆行の結婚は?嫁(妻)や子供は?
鈴木隆行さんは2009年10月にモデルの橋本優子さんと結婚しています。鈴木隆行さんと橋本優子さんが知り合ったきっかけは知人の紹介で、鈴木隆行さんが元々橋本優子さんの大ファンで熱烈にアタックしたようです。
— 芸能情報.com (@com20402607) 2018年7月8日
美男美女ですね。
橋本裕子さんは原宿でスカウトされ、ファッション雑誌『LUCi』の専属モデルとして活躍していました。現在は、子育てをしながらモデル活動も継続中とのこと。
現在43歳みたいですが、年齢を感じさせないほどの美人ですわ。
お二人には、息子さんと娘さんがいらっしゃいます。
鈴木隆行さん、最後の勇姿 水戸で引退試合 https://t.co/es4uyus9g8 pic.twitter.com/DkBg5CSFeq
— 茨城新聞社 (@ibarakishimbun) 2018年1月13日
お母さん譲りで美人の長女ちゃん、お父さんに似てイケメン長男くん遺伝子が最強ですね。娘さんはお母さんの仕事に憧れていて、将来はモデルになりたいと話しているようです。息子さんは、まだ小さいながらも大のサッカー好き。お父さんのDNAで将来の日本代表選手になるかも知れませんね。
鈴木隆行はイケメンサッカー選手?画像で確認
歴代日本代表のイケメンランキングに必ず入っている鈴木隆行さん。若いころは金髪で「銀狼」なんて呼ばれてました。
鈴木隆行師匠が若いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい pic.twitter.com/zVSN3wxbCz
— UG (@soccerugfilez) 2014年1月2日
そしてだんだんとワイルドな武士のような渋みが加わってきました。
鈴木隆行の好きな所
・イケメン(バガボンド実写の際は…)
・日韓W杯ベルギー戦で値千金の同点ゴールをあげ、日本初の勝ち点獲得に貢献
・3.11の後、地元水戸のためにアマチュア契約で無給でプレー
・試合中背負い投げを仕掛けられる
・FWなのに「ゴールの取り方?よくわかんないっす」って言っちゃう pic.twitter.com/fFbh0N4Aqj— タキタソウ (@qurulium) 2018年6月28日
鈴木隆行さん、引退試合へ 「愛される監督」目標に https://t.co/y1rVqkE4Lb pic.twitter.com/fWgMkMgaf8
— 茨城新聞社 (@ibarakishimbun) 2017年12月19日
やっぱイケメン‼EXILE系な感じの。
鈴木隆行のプレースタイル
イケメンサッカー選手なんで華麗なスタイルでプレイしてると思いきや、めっちゃ泥臭く動き回るプレースタイルのFWです。激しく倒され、踏みつけられ、泥だらけになっている事が多いです。前線で泥臭く働く汚れ役。
相手ボールの時は、ボールを保持しているディフェンダーをしつこくチェイス。マイボールの時は、体を張ったポストプレー等々。FKの際には、壁の一部となり相手DFの邪魔もします。
『鈴木隆行がアコーディオンカーテンのように…』という実況もされました。
鈴木隆行の年俸
鹿島アントラーズ
1995 (19) 380万円
1996 (20) 480万円
CFZ
1997 (21) 600万円
ジェフユナイテッド市原
1998 (22) 1,000万円
CFZ
1999 (23) 2,000万円
川崎フロンターレ
2000 (24) 2,500万円
2001 (25) 3,000万円
ヘンク
2002 (26) 4,500万円
ヒュースデン=ゾルダー
2003 (27) 4,500万円
2004 (28) 4,500万円
レッドスター・ベオグラード
2005 (29) 5,000万円
2006 (30) 5,000万円
横浜F・マリノス
2007 (31) 5,000万円
ポートランド・ティンバーズ
2008 (32) 4,500万円
2009 (33) 4,000万円
2010 (34) 4,000万円
水戸ホーリーホック
2011 (35) 無報酬
2012 (36) 200万円
2013 (37) 200万円
2014 (38) 200万円
ジェフユナイテッド市原・千葉
2015 (39) 1,500万円
2016 (40) 現役引退
年俸総額 5億3260万円
特筆すべきは東日本大震災が起きた2011年。当時J2の下位に甘んじていた水戸ホーリーホックへの入団を決意します。驚くべきは、その契約内容。なんと、日本代表まで上り詰めたあの鈴木が、無報酬で契約です!しかも、鈴木さんの強い希望。今度はこのような形で故郷を助けようと男気を出したんです。心までイケメンでした。
鈴木隆行の成績や移籍など
移籍と成績をまとめるとこちら。
鹿島アントラーズに入団 87試合 17得点
CFZ 21試合 7得点
ジェフユナイテッド市原 に移籍 7試合 0得点
CFZ 5試合 0得点
川崎フロンターレ 11試合 0得点
ヘンク 19試合 0得点
ヒュースデン=ゾルダー 30試合 5得点
レッドスター・ベオグラード 6試合 0得点
横浜F・マリノス 21試合 1得点
ポートランド・ティンバーズ 77試合 4得点
水戸ホーリーホック 126試合 24得点
ジェフユナイテッド市原・千葉 2試合 0得点
計:412試合 58得点
タイトル 2000年 – ナビスコカップ (ニューヒーロー賞)
2001年 – FIFAコンフェデレーションズカップ (得点王) (2得点)
プレースタイルでも触れましたが、得点を重ねるタイプのFWではありません。数字に出てますね。
鈴木隆行のサッカーファンの評価や意見は?
鈴木さんは『点を決めないFW』といわれまくっていました。FWというポジションでありながら、2002年の前半で公式戦20試合連続ノーゴール達成。2002年W杯のベルギー戦で同点ゴールを決めた試合以降、46試合連続ハズシまくり。時間にして1790分もノーゴールという不名誉な記録を樹立。そのあまりのノーゴールぶりにネット界で皮肉を込めて『師匠』『DFW(ディフェンシブフォワード)』とまで呼ばれ、もうイジられまくってました。
サッカーにおいて「師匠」とは、どフリーで簡単そうなシュートを豪快に枠外に蹴り、時々すんごい難しいのを重要な局面で決めるFWのことです。フェルナンド・トーレスは師匠です。元祖は鈴木隆行です。
— Hoshiko (@josico) 2018年7月10日
でも普通ゴールを決めないFWは要らないはず。ただ鈴木隆行はたとえゴールを決められなくても、チームに貢献しています。スーパーゴールを決め簡単なゴールを決めないが、重要な試合でキッチリ仕事をするから監督も重宝し起用もするんですね、不思議と。泥臭いプレーで常にチームを助け続けます。そう鈴木隆行は不屈の男です!
そうしてネットスラングだった『師匠』という呼び名はいつしか、鈴木隆行を敬愛するニュアンスを多分に含むように。今や、師匠というワードは、ネタと共に誇り高き男気の象徴とも言える感じです。
鈴木隆行の基本情報まとめ
鈴木隆行という男。中々選手として目が出ず、様々なチームを渡り歩いた苦労人であり、目が出てもノーゴールで世間を賑わせたり。とても人間味溢れるサッカー人生を歩んで来た選手です。
鈴木隆行さんは、2015年のシーズンを持って現役を引退しています。選手は引退こそしましたが、まだまだ人生は続きます。泥臭くも、人の心を打つ魅力の持ち主だけに、今後もサッカー界を盛り上げてくれるに違いありません。愛すべき『師匠』を心から応援したいです。
現在は、東京都清瀬市の『清瀬VALIANT』にて、少年サッカーの指導をしています。さらに、2018年5月17日には、日本サッカー協会理事会から『JFA 公認S級コーチ』に認定されています。
将来はプロサッカーチームの監督を目指すそうですから、Jリーグの監督として活躍するかもですね。
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