日本サッカーを牽引し続けてきた本田圭佑選手。
彼はいつも日本サッカー界の話題の中心となる逸材であり、あの名門クラブACミランの「10番」を背負うまで着実にキャリアアップしていきました。最近はメルボルンVに移籍しACLで広島相手にゴールを決めていましたね。
また現役ながらカンボジア代表監督兼GMに就任するという前人未到なこともやっています。
そこまでに至る経緯はどんなものなのでしょうか。彼のプロフィールを調べてみると、「才能型」ではなくリスクに物怖じせず突き進み、時には自分を追い込みながら乗り越えてきた「努力型」であることが分かります。
そんな彼の気持ちは「ビックマウス」と呼ばれる発言にも表れています。自分を強くするための「名言」が、本田選手をプレーヤーとして実業家として世界で結果を出すのに繋がったのです。
保守的な日本人には無い、見習いたいポイントが「名言」にあります。
それではまず本田選手のプロフィールを見ていきましょう。
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本田圭祐選手の出身・中学高校などのプロフィール
本田選手は「大阪府摂津市」出身です。
関西人のノリがあまり感じられないので意外かもしれません。でもこんなはっちゃけるときも。
摂津市鳥飼北小学校に入学すると、2年生時に兄の影響もあり地元のサッカーチーム摂津FCに入団します。このころから『世界一のサッカー選手になる』とビックマウス発言が飛び出していました。
摂津市立第四中学校に入学し、ガンバ大阪ジュニアユースにも所属するのです。ただ同期には「天才」の名を欲しいままにしていた同じレフティの家長昭博(現・川崎F)がいました。一方本田選手はスピード・スタミナ不足を指摘されることもあってレギュラーを取れず、ユースへ昇格することはできませんでした。
悔しい思いを経験した本田選手は、高校の進学先を遠く離れた石川県の星稜高校に決めます。大阪にもサッカー強豪校はいくつもありますが、親元を離れ厳しい環境で練習し全国高等学校サッカー選手権出場を目指します。
現在の奥さんとは高校時代対戦した学校のマネージャーとして出会っているそうですね。
そして一生懸命にサッカーの練習を続けた本田選手は、高校3年にキャプテンとして選手権出場を果たしたのです。初戦には岡崎慎司選手(現・レスターシティ)の滝川第二と対戦し、見事打ち破っています。そのまま突き進み見事ベスト4になり国立競技場まで行くことができました。
その活躍もあって本田選手は、後に名古屋グランパスエイトの特別指定選手として登録され、プロ入りの扉を開きました。高卒ルーキー開幕スタメン出場という偉業も果たしてまスタミナ。
本田選手のエピソードをみると、挫折を経験しながらも自分を奮い立てて努力してきたことが分かります。世界を見据え「プロになる」という一心で邁進したのです。
・クラブ
2005-2007 名古屋グランパス
2008-2010 VVVフェンロ
2010-2013 CSKAモスクワ
2014-2017 ACミラン
2017- 2018 CFパチューカ 2018- メルボルン・ビクトリー
これだけのクラブを渡り歩いてきました。
本田圭佑の年俸推移は?
数々のクラブチームを渡り歩いてきた本田選手。これまでいくら稼いできたのでしょうか?
推定年俸ですが、調べてみました。
名古屋グランパス時代
- 2005年 450万円
- 2006年 1000万円
- 2007年 1800万円
オランダ:VVVフェンロ時代
- 2008年 6500万円
- 2009年 6500万円
ロシア:CSKAモスクワ時代
- 2010年 3億円
- 2011年 3億円
- 2012年 3億円
- 2013年 3億円
イタリア:ACミラン時代
- 2014年 7億7000万円
- 2015年 7億7000万円
- 2016年 7億7000万円
メキシコ:パチューカ時代
- 2017年 4億5000万円
メルボルン・V時代
2018年 3億2000万円
こうしてみるとここまで順調に上がっていった事が分かります。特にロシア・イタリア時代は破格の年俸ですね!
本田圭佑の成績は?
・リーグ戦記録
2004 名古屋(J1) 0試合・0得点
2005 名古屋(J1) 31試合・2得点
2006 名古屋(J1) 29試合・6得点
2007 名古屋(J1) 30試合・3得点
2007-08 VVVフェンロ(オランダ) 14試合・2得点
2008-09 VVVフェンロ(オランダ 2部) 36試合・16得点
2009-10 VVVフェンロ(オランダ) 18試合・6得点
2010Jan. CSKAモスクワ(ロシア) 28試合・4得点
2011-12 CSKAモスクワ(ロシア) 25試合・8得点
2012-13 CSKAモスクワ(ロシア) 23試合・7得点
2013-14 CSKAモスクワ(ロシア) 18試合・1得点
2014Jan. ミラン(イタリア) 14試合・1得点
2014-15 ミラン(イタリア) 29試合・6得点
2015-16 ミラン(イタリア) 30試合・1得点
2016-17 ミラン(イタリア) 8試合・1得点
2017-18 パチューカ(メキシコ) 25試合・7得点
2018-19 メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)13試合・6得点
名古屋時代は自身も語っていますが「パス」が美学だったため、あまり点を取っていませんね。
オランダに移籍してからゴールの意識が強くなったようです。
実際VVVは本田の活躍もあり、2部で優勝し1部昇格をしています。
本田圭佑の名言集!
自らのビックマウスにより、成功せざるを得ない状況に追い込むスタイルの本田選手。
失敗すれば口だけ男と批判されるかもしれないリスキーな方法は日本人離れしていて、しかし時には批判されても物ともしないメンタルも併せ持っています。
彼の生き方の信念を感じさせる「名言」をいくつか紹介します。
「何で他人が俺の進む道を決めんねん、自分の道は、自分が決める」
北京五輪の前に、オランダ移籍を決めた時、周囲からは「五輪前の移籍はリスクがある」という声がありました。さまざまなアドバイスを受けながらも、「最後は自分で進む道を選ぶ」という強い信念を感じさせる言葉です。
「本田圭佑のストーリーは始まったばかり。これからの筋書きは自分で決めること」
VVVでは16得点13アシストと活躍。2部優勝と1部復帰の立役者となり、リーグMVPにも輝きましたが、周囲から持ち上げられても有頂天にならず、あくまでスタートという認識だったようです。
「挫折は過程、最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ」
現状を受容した上で、それを前向きなイメージに転換し、目標に向かって努力することができるそうです。この後こうも言っています。
「オレの人生は挫折の連続なんです。でもそこからはい上がろうとして、未知の世界を知ることもある。今は苦しいですけど、真剣に向き合うことで、見えてくることがある」
「1年後の成功を想像すると、日々の地味な作業に取り組むことができる」
「勝負を決めるのは準備。なかでも気持ちの準備以上のものはないと思う。」
勝敗を分けるのは「準備だ」と言い切っています。試合前の準備には個人練習、チーム練習、道具など様々な要素があるが、その中でも本田圭佑が強調しているのは「気持ち」です。「勝負に勝つ」という闘争心をいかに高めるか、これはアスリートだけでなくビジネスにも役立ちそうです。
「頭の中ではメッシやクリスティアーノ・ロナウドを超えるプレーをしている。」
本田選手のイメージの中では、現時点で世界トップクラスとされる2選手をも上回るプレーができているそうです。ビックスケールですね。
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